2016-10-06-Thu-13:08
【 その他 】 いい打ち合わせの後に思うこと。
黒翡翠のペンダント。
この土地でも採れるんだよと、少し前にいただいたもの。
深みの奥の奥に、真髄があるのかないのか
ときにくすんで見えたり、そうかと思えば
しなやかな芯のある黒髪みたいな美しさがあります。
ついじーっと見てしまいます。
目がキラキラしてるね、とよく言われます。
小さい頃から。
いい意味で言ってもらっていること(と、認識しています)と思うのですが
このペンダントを掌で見返していると
こんな瞳になりたいなぁと思います。
キラキラじゃなくて吸い込まれる感じ。
芯があるから
澄も濁もいいじゃないって言える感じ。
地に足のついた話をしなければと思います。
調べてみたら、黒翡翠は5月の誕生石。
お守りだ。
この土地でも採れるんだよと、少し前にいただいたもの。
深みの奥の奥に、真髄があるのかないのか
ときにくすんで見えたり、そうかと思えば
しなやかな芯のある黒髪みたいな美しさがあります。
ついじーっと見てしまいます。
目がキラキラしてるね、とよく言われます。
小さい頃から。
いい意味で言ってもらっていること(と、認識しています)と思うのですが
このペンダントを掌で見返していると
こんな瞳になりたいなぁと思います。
キラキラじゃなくて吸い込まれる感じ。
芯があるから
澄も濁もいいじゃないって言える感じ。
地に足のついた話をしなければと思います。
調べてみたら、黒翡翠は5月の誕生石。
お守りだ。
スポンサーサイト
母からいろいろレシピを伝授してもらってきたけど
これは、まだ教えてほしくない。
鶏レバーの生姜煮。
これは、まだこれからも作ってほしい。
最近、食欲がないと言ったら作っておいてくれました。
学生時代も時々、ジップロックに小分けされて
名古屋から届いていた私の身体と心の栄養。
家でも、景色でも
その人が好きな歌でも、眼差しでも
受け継いで行きたいと思う一方で、受け継ぐときの寂しさがあって
まだいいじゃないって思ってしまう。
きっと受け継ぐって思うから寂しいんだな。
シンプルに、食べたいとか、私もこの味を大切な人に食べさせてあげたい
とか、知ってもらえたら嬉しいな、でいいんだな。
何でも。
と思いました。
金物屋さんに出会ったときの感覚に近いのかも。
でも、不思議で
誰かが一生懸命作りあげてきたものは、
簡単にそう思えないところがある。
“もっといいものにして”
を思い付いても、いい案に思えなかったり。
そのカタチのないさよならとか感謝と
不安や危機感と対峙しながら
あーだこーだ言わずに
広がりのある”自分ごと”にして実践し続けている人がたくさんいるということを
最近、実感しています。
これは、まだ教えてほしくない。
鶏レバーの生姜煮。
これは、まだこれからも作ってほしい。
最近、食欲がないと言ったら作っておいてくれました。
学生時代も時々、ジップロックに小分けされて
名古屋から届いていた私の身体と心の栄養。
家でも、景色でも
その人が好きな歌でも、眼差しでも
受け継いで行きたいと思う一方で、受け継ぐときの寂しさがあって
まだいいじゃないって思ってしまう。
きっと受け継ぐって思うから寂しいんだな。
シンプルに、食べたいとか、私もこの味を大切な人に食べさせてあげたい
とか、知ってもらえたら嬉しいな、でいいんだな。
何でも。
と思いました。
金物屋さんに出会ったときの感覚に近いのかも。
でも、不思議で
誰かが一生懸命作りあげてきたものは、
簡単にそう思えないところがある。
“もっといいものにして”
を思い付いても、いい案に思えなかったり。
そのカタチのないさよならとか感謝と
不安や危機感と対峙しながら
あーだこーだ言わずに
広がりのある”自分ごと”にして実践し続けている人がたくさんいるということを
最近、実感しています。
もともと、歌を作って歌うくらいなので
ひとりよがりなところがある方だと思います。
伝えたいことを、歌で伝えようとするあまのじゃくなところがある方だと思います。
あかり.netがはじまって、今日までの日を振り返ると
前より伝えることが苦手になったし、わがままになったような気がします。
メンバーは特に、金物屋さんでの改修活動を通して
「こんな風に変わった」というよりは
自分のくせのある一面や、素の自分を強く実感したのではないかと思います。
金物屋さんのご近所の浦野さんや山ちゃん、川角さんや三嶋屋さんが見ていてくれたあかり.net
あかり.netの活動に、私たちが意識していなかった価値を見出してくれたような気がしています。
同様に、町の人たちが作ってくれた価値、ブログを読んできてくれた人が作ってくれた価値、遠くで見守ってくれていた友人が作ってくれた価値、家族やいつも側でみていてくれた友人が作ってくれた価値、山本金物店にかつて灯りを灯していた方が作ってくれた価値。
価値というのは、とても個人的なものであるように思えて、だからこそ、とても重い。
金物屋さんで会う人たちの笑顔や言葉、表情からその人の中にあるそれがこぼれてきて
私はみんなが作ってくれた価値で胸がいっぱいになってしまいます。
大人になると、感受性が少しずつ削がれていくと誰かにきいたことがありました。
あかり.netをはじめてからというもの、自分の感受性が本当に豊かになっていく実感が日々ありました。
感受性は生まれながらにして備わっているのではなく
出会った人たちからもらう、歳を重ねるごとに豊かになるものだと思います。
その感受性も、こんなときは考えものですね。
みんながせっかく作ってくれた価値におぼれてしまうことがないように
お披露目会も終わってちょっと一息ついたので
自分にとっての、とってもひとりよがりなあかり.netの価値を、今日は考えています。
※お披露目会終盤の様子

こんなお披露目会ってありますか? さおりん、まいまい、さくちゃん。
ひとりよがりなところがある方だと思います。
伝えたいことを、歌で伝えようとするあまのじゃくなところがある方だと思います。
あかり.netがはじまって、今日までの日を振り返ると
前より伝えることが苦手になったし、わがままになったような気がします。
メンバーは特に、金物屋さんでの改修活動を通して
「こんな風に変わった」というよりは
自分のくせのある一面や、素の自分を強く実感したのではないかと思います。
金物屋さんのご近所の浦野さんや山ちゃん、川角さんや三嶋屋さんが見ていてくれたあかり.net
あかり.netの活動に、私たちが意識していなかった価値を見出してくれたような気がしています。
同様に、町の人たちが作ってくれた価値、ブログを読んできてくれた人が作ってくれた価値、遠くで見守ってくれていた友人が作ってくれた価値、家族やいつも側でみていてくれた友人が作ってくれた価値、山本金物店にかつて灯りを灯していた方が作ってくれた価値。
価値というのは、とても個人的なものであるように思えて、だからこそ、とても重い。
金物屋さんで会う人たちの笑顔や言葉、表情からその人の中にあるそれがこぼれてきて
私はみんなが作ってくれた価値で胸がいっぱいになってしまいます。
大人になると、感受性が少しずつ削がれていくと誰かにきいたことがありました。
あかり.netをはじめてからというもの、自分の感受性が本当に豊かになっていく実感が日々ありました。
感受性は生まれながらにして備わっているのではなく
出会った人たちからもらう、歳を重ねるごとに豊かになるものだと思います。
その感受性も、こんなときは考えものですね。
みんながせっかく作ってくれた価値におぼれてしまうことがないように
お披露目会も終わってちょっと一息ついたので
自分にとっての、とってもひとりよがりなあかり.netの価値を、今日は考えています。
※お披露目会終盤の様子

こんなお披露目会ってありますか? さおりん、まいまい、さくちゃん。
雪の日のレモン。

レモンの収穫時期って意外と知られていない。
輸入されたものが多いから、いつでも手に入って季節感がないんだろうと思う。
地中海、青い空の下ではつらつと、太陽に向かって実をつけるイメージだったけれど、日本では、秋から冬にかけて色づきます。
その姿が私はとても好きだ。
春に白い花を咲かせ、夏の頃はまだ若くて、周りの青々とした植物に紛れていて、秋になると、少しずつ、黄緑からレモン色に色づき始めます。
それでもまだまだ存在感がなくって、私はかがんで地面に近い場所から木の中を覗きます。
冬、周りの木が冬の準備をして、葉が落ちた頃、やっと、枝の向こうに実が見えます。
実家の庭に1本だけあるレモンの木は、数は少ないけれど、ひとつひとつが大きくてごろっとした実をつけます。
真っ白な雪がとても似合って
夕陽の空がバックのときは哀愁があったり。
色づく時期をお行儀よく待つ。
その間は、周りはにぎやかで、守られてるようにも見える。
みんなが冬眠に入った頃に、ちょっと遅れてちゃんとその存在の輝きを放ってる。
そんなレモンは、たくさんはいらないけど
料理やお菓子づくりにひとつふたつ冷蔵庫にあると便利。

金物屋さんもレモンみたい?レモンの木みたい?になるといいですね。
今年も根気強く!

レモンの収穫時期って意外と知られていない。
輸入されたものが多いから、いつでも手に入って季節感がないんだろうと思う。
地中海、青い空の下ではつらつと、太陽に向かって実をつけるイメージだったけれど、日本では、秋から冬にかけて色づきます。
その姿が私はとても好きだ。
春に白い花を咲かせ、夏の頃はまだ若くて、周りの青々とした植物に紛れていて、秋になると、少しずつ、黄緑からレモン色に色づき始めます。
それでもまだまだ存在感がなくって、私はかがんで地面に近い場所から木の中を覗きます。
冬、周りの木が冬の準備をして、葉が落ちた頃、やっと、枝の向こうに実が見えます。
実家の庭に1本だけあるレモンの木は、数は少ないけれど、ひとつひとつが大きくてごろっとした実をつけます。
真っ白な雪がとても似合って
夕陽の空がバックのときは哀愁があったり。
色づく時期をお行儀よく待つ。
その間は、周りはにぎやかで、守られてるようにも見える。
みんなが冬眠に入った頃に、ちょっと遅れてちゃんとその存在の輝きを放ってる。
そんなレモンは、たくさんはいらないけど
料理やお菓子づくりにひとつふたつ冷蔵庫にあると便利。

金物屋さんもレモンみたい?レモンの木みたい?になるといいですね。
今年も根気強く!